荻野春信と愉快なアポカリプスブログ

うごメモで文字PV作者として暴走中の布都巻きのブログですwwwwww

僕とうごメモとちょびっと高校生活

こんなの書いてんのは暇だから

この前ブログの場所を変えるとか言ってましたが、このことだけはどうしてもここ(はてなのこのID)でけじめをつけないとな…と思ってました。

は?今更何言ってんだこいつとか言ってますがそれは9年前の糞Vista使ってた(変換だけで止まるとかブログ書けるわけがない)のと、ある程度みんなが僕のことを忘れる頃に書きたかった(どうせそんないないのに)からです。

 

※この内容はぶっちゃけうごメモDSi時代(今から2年くらい前)の懺悔となっています。その当時を知らない人には全く関係なく、理解不能です。極端な話自己満だったりします。

 

さて、本題ですが、僕はうごメモで文字PV+αを投稿してたんですが、(ここからは著作権ガーとかは考えないでください)おそらく他の文字PV作者とは大きく異なる文字PVのアプローチをしていたと思います。それが東方アレンジであったり、水戸黄門、ミッ○ーマウスマーチなどといった他の文字PV作者がやって来なかった曲(といっていいのか難なものもあるけど)を使ってきたことです。

文字PV自体のテクニックでは他の人には及ばないと考えた僕は「だったら、同じことをやっても無意味だ、誰もやったことのないことをしないと」と思い始めました(おそらく、これが2012年の8月だったと思います)。それでもたまにネタに走る程度で基本的には普通のPVがメインだったと思います(文字PVコンテストとかあったし)。

ですが、この考えが変わったのは年が変わってきてからだと思います。

それは他の作者の実力のインフレが激しく着いていけない→人気のメモがネタ系に(一部例外有)なった年明けくらいです。

ちょっと前に遡りますが、2012年の7月頃、僕は文字PVを初めて1月ちょっとでしたが、一回ランキング(上位30位の作品とかが載るやつ)に載ったことがありました。そのときは、批判コメもありましたが、多くは称賛のコメで僕はいい気分に浸ると共に、人気という悪魔と契約して自分が作りたい、ってより人気の出やすい(=ユーザーのニーズに合わせた)作品を作るようになってきました(勿論例外はありますが)。その人気の出やすい作品がネタ系にシフトチェンジしてきたので少しずつネタ系のPVを増やしていった結果、2月のランキング1桁入りがあったのではないかと今は思います。

その時、僕はネタ系の方が受けがいい、と考え今までの文字PVをなめてる、と言われても仕方のないような低クオ文字PV(大体がネタ)を量産することになりました(1日に3つ作った、っていう暴挙もやってのけたし)。

それがやらないかやZ会ネタに繋がっていきました。しかし、うごメモのサービスが終わってしまうとそんな(僕の頭の中だけの)栄光は消え去り残ったのは活動時の充実感が抜けた虚無感と一部のつべに上げた動画のみでした。僕はそれにそのあとずっと悩み…って言ったら嘘になりますが、若干何か大切なものを失った気がして、それを取り戻すのには少し苦労しました(今でも少し気にする時はなくはないです)。

まあ、うごメモのネタを情報の授業のプレゼンで使ったりしたので全く無駄にはなんなかったのですが。

 

人のことを考えて作る必要があったのか、それをするのはプロの仕事でアマチュアや素人は考える必要がないのでは、とよく考えます。

それはおいといて結局のところ人気作者になりたいって思ったのが原因だったのかもしれません(逆を言えば無名でもこのくらいなら頑張れば人気はでるとも言える)。

僕は同じ文字PV作者でも他とは違うな、って思うことがありました。

例えば、ドルンさんのメモで(アンチはともかくとして)画力について評価する人はいたでしょうか?

ドルンさんがあそこまで評価されたのはネタがウケたからだと思います。

それと同じで文字PVのテクニックではなく、文字PVをその曲でやるのかっていうネタ性を評価してもらいたかったです。

まあ、そんなこと言ってもどこを見てどこを評価するか決めるのは見てる人なんですけどね…

 

そういえば、これで原稿用紙4枚オーバーだってさ